社会人1年目の独り言

その時思ったこと感じたことをそのまま書き留めていけたらと思っています。

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SNSでの論争は無駄なんじゃなくてそもそも向いてないんじゃないかって話

どうもノムさんです。

まだ夏休みなので相変わらず自由気ままな生活を送っており、ブログ更新したいなーと思いつつも書く話題が無いなーとか思いながら1週間が経ってしまいました。

 

今回は昔よりもSNSが一般に普及している世の中で最近思っていることについて語っていこうかなと思っています。

 

便利だけど不自由に感じる昨今

ここ数年でスマホの普及に始まり、一部の人しか触れていなかったインターネットが一気に庶民的なものになり、誰もが簡単に素早く自分の知りたい情報にアクセスできる時代になりました。この技術の進歩は世の中を非常に便利にして素晴らしいことだと思っています。

 

けれど、最近は便利が故に不自由さを感じることも増えてきているような気がしています。全てにおいて満足したいなんて贅沢を言うつもりはありませんが、なんというか世の中が便利になるにつれて今まで表に出ていなかったもの、出なくても不都合ではなかったものが、表に出過ぎている気がするんですよね。

 

具体的にはSNSで繰り広げられている常に批判的な論争です。SNSは誰もが自由に思ったことを発信することができ、短時間で多くの情報に浅く触れるには文句のつけようのない素晴らしいツールだと思っていますが、特定の情報に深く触れるにはノイズが多すぎて適していないと考えています。

 

SNSは情報の発信に特化しているツール

先ほども述べましたが、SNSって情報に触れることに関しては一流なんですが、論争には適してないんですよね。ここでは代表的なSNStwitterを例に挙げて話しますがtwitterの文字数はたったの140文字しかありません。

140文字だと短すぎて自分の意見を論理的に説明することって不可能に近いと思うんですよ。でも、日頃からtwitterでは多くの意見が交わされています。

 

では、140文字以内で論争を行うとどうなるとどうなるか。

その人にとって当たり前なことが省かれた文章になります。いくらその人が文章の裏に深い意味を込めていたとしても、それは多くの場合伝わらず、基本的に他人には140文字に込められた表面的な情報しか汲み取りません。でもこれは読み取れない人が悪いのではなく、140文字しかない無いのだからしょうがないと割り切るしかありません。

 

最近はこのことを理解していない人たちが多すぎる気がします。双方の論点がずれていることに気づかず無意味な論争を繰り広げている様子をよく目にします。

文字数制限が無くなれば解決するかもしれませんが、そうなるとSNSの現在の長所は無くなってしまい、全く別の物へと移り変わってしまいます。

 

論争は1or100じゃなく1~100ですべき

個人的に論争自体は自分の意見を拡げたり、全く別の方向性の意見を知る機会に繋がって嫌いじゃないのですが、それは感情任せではなく建設的であることが前提条件なので瞬間的なSNSは論争に向いてないと思います。

 

SNSだと意見が肯定か否定の2択になってしまいがちなんですよね。建設的な論争だと互いの意見のすり合わせでいい塩梅の意見が生まれる可能性があるかもしれないのに、SNSだとその可能性が潰えてしまいがちです。

 

 

何度も言うようにSNSは多くの情報に浅く触れるには非常に便利なツールだと思うので、それぞれの特性を活かして賢く利用していきましょう。

 

次回は長い自粛期間を快適に過ごすために行ったこと等を書こうかなと思っています。

 それでは。

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