今日は自分がインターネットが大好きな理由を考えていました。
昔はアニメ・ゲームを始めとしたサブカルチャーが好きだけれど、同世代の周りのの友達には話が合う人がいないが故に同士が集いやすいインターネットが心地良いのだ思っていました。
けれど、ずっとそれだけじゃない気がしていて、多分は自分は「趣味の合う人がいなくなってもインターネットに居座り続けるだろうな」って思うんですよね。
なんでだろうなって考えた時に自分が好きなこの場所は自由/不自由の裁量に他人が介入してくる余地が少ないからなんじゃないかなって。
この場所は確かに場所として存在しているけれど、現実よりもどこか曖昧で。現実よりもはるかに自由なのにどこまでいっても現実からは逃れられない。
それでも、何があってもそれは自分だけで完結することが多くて、どんな結末を迎えても巡り巡って自分に収束する。けれど、現実だとこうは上手くいかない。
最終的に自分が納得する形に落ち着いたとしても多くは外的要因によって少なからず、妥協してしまう。
身の回りの人達は「お前は変わり者で十分自由に生きてるよ」って言うけれど、もしこれが自由というのなら、僕が目指す自由はどこにあるのだろうか。
現実では他人よりも明らかに苦手なことを避け続けて自由に生きているはずなのに。
現実に重きを置いているときの自分は今を生きるのに精一杯になってしまう。
今日も明日もこれからもきっと自分はインターネットを這いずり回る。
「自由」とは名ばかりの決して外れない足枷を引きずりながら。